【小説】二つの道(文章:三坂ゆう)

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青い空の晴れ渡る、さわやかな日々だった。
もしも、その時が訪れなければ、壱与もただの娘として、惚れた男と結ばれ、家庭を持っていただろう。
けれども、無情なその時は、早くにやってきてしまうのだった。

その時、すなわちそれは、壱与が女王卑弥呼の後継者になるということ。

こうなったいきさつは、弟王の赤比古(あかひこ)が姉王に背いて暗殺したことにある。
政治のことに口を出して、こうるさいことばかりを言うようになり、まるで姉を操るかのように振舞う。
そのことを卑弥呼が批判すると、気の短い赤比古は、腰に佩いた剣をちらつかせ、脅すのだ。
「むだなことだ。わたしは死など恐れない」
卑弥呼は脅されるたびに強がって見せたが、その奥に隠された感情は、同じ血を引く弟には見透かされていた。
このままではムラが駄目になってしまう。言葉にはしなかったが表情が語っていた。卑弥呼は唇を噛み締めた。


運命をつなぐ鎖は、ときに優しさを見せ、あるいは、とぐろを巻いた竜のように残酷な強さを見せることもある。


壱与のもとへ大夫(たいふ=難斗米・なしめ)がやってきた。
大夫はかつて唐の国へ海を渡り、皇帝から金印をさずかってきた偉業の人。
その大夫が直々に壱与に話があると言って来たのだ。家は大騒ぎだった。
このころは竪穴住居に親類縁者がまとまって住んでいた、そういう時代ではあったが壱与もまた、そうして暮らす一般家庭の出身である。
「頭を下げられても困ります。私は卑弥呼様のような強い霊感はないのですよ」
「かまいません。それでもあなたは、選ばれたのです」
「選ばれた。誰に」
大夫は不思議そうに小首をかしげる少女に、決意した表情で答えた。
「はい。卑弥呼様が懸かられる神によってです。神の言葉は絶対でたとえ卑弥呼様とても逆らうことが出来ません」
いやです、と答えるつもりだった壱与は、言いかけてやめ、うつむきかげんで言葉を飲み込んだ。
「どうかお願いです。あなたを必要としているのは、この、倭の国です」
壱与は、考えておきます、と大夫に伝え、追い返した。


そのころ、壱与に想いを寄せていた芹彦(せりひこ)という若者がいて、壱与のもとへ大夫がやってきたことを知ると、顔色をすぐさま変えた。
「こうしてはいられない。壱与が女王にされてしまう。イヤな予感が拭えない」
足早に駆け出すと、壱与の家にやってきて、戸口を勢いよく、はげしく叩いた。
「あら、芹彦じゃない。どうかした」
壱与の笑顔にいつもの覇気は失せていたようだった。芹彦も落胆した表情で壱与と向き合った。
「聞いたよ、卑弥呼様の宗女(そうじょ=後継者)にされるんだってな」
「言わないで。私はまだ決めてない」
そっぽを向くと壱与は沈黙を守ったまま座り込んだ。
芹彦も壱与の隣へ進むと、腰を落とした。
「まだ決めてないって、あちらでは返事を急いでるんだろう」
「だって、だって」
「卑弥呼様、危ないんだ」
芹彦の思いがけない言葉に、壱与は目を見張る。
「ど、どうして知ってるの、そんなこと」
「俺の親父どのは防人(さきもり)だろう。聞いてきたらしいんだ、危篤だそうだよ、それで跡継ぎを捜しておいでなのさ。けど、なにも壱与でなくたっていいのにさ」
「大夫様は言っていた。これは神が決めたことだと、神の言葉には絶対従わないとならないのよ。そういう掟だもの。私は、私は、王になんかならなくたって。なりたくなんて」
「壱与」
芹彦は、涙をためて胸のうちを明かす壱与の肩を抱きしめて、自分も胸中に秘めたる想いを打ち明けた。
「俺は、壱与が好きだ。できれば王にさせたくない。そばにいてほしい」
壱与はついに、溜め込んでいた涙を頬に伝わせ、声を震わせながら呟くように言った。
「芹彦、私もずっと好きだったの。だから王になれない」


芹彦は美丈夫なほうだろうか。父親も豪族のひとりで、そのためだろう自信家で、若い娘の前では虚勢を張ることが多かった。無論、壱与の前でもそういうそぶりを見せてはいたが、壱与とは幼なじみということもあって、割合と本音をこぼすこともあった。
壱与は黒くて長い髪が自慢で、ふっくらした顔つきの、美人というよりは、しっとりした可愛げのある少女で、派手さはなかったが穏やかな心の持ち主でもある。
卑弥呼も典型的なアジア系の顔つきだったらしく、のっぺりした東洋人で背は低かったと説がある。卑弥呼の場合は統率性にすぐれていたようで、それが魏志の言うところの『人をよくまどわす』だったのだろう。

「卑弥呼様は、私をのぞんでいるのかしら。でも国の人たちはどう。私をのぞんでいるのかしら」
魚を火で炙り、窓から忍び込んでくる月のカーテンを半身に浴びて、壱与は感情を殺すようにして呟いた。
「これは話していいのか迷ったことだけど」
芹彦は焼き具合を見ながら魚をひっくり返す。
「赤比古様は卑弥呼様の弟王様だけど、転覆を狙っているらしい。自分が王になるつもりなのさ。卑弥呼様はそれを許さない、民衆も男には従わないだろうって。だから壱与に白羽の矢を立てたんだね。きっと」
「そうだったのね」
壱与は深くため息をついた。
「決めた」
芹彦が言うのと同時に、炎がはげしく弾け飛んだ。
「決めたよ、壱与。俺、お前の護衛になる。お前のことを命がけで守ってやるから、安心して王になれよ」
「芹彦、それでいいのね。後悔しないのね」
不安そうに胸の前で両手を組み、壱与は芹彦の言葉を待った。
芹彦は満面の笑みを浮かべながら、壱与の頭を軽くたたいた。
「ばか。お前から離れるほうが、後悔するだろう」
壱与は芹彦の肩に寄り添って、燃え盛る炎の揺らめきを見つめていた。
「ありがとう、芹彦」
苦しい戦いの予感が、壱与の胸を締めつけてもいた様子だった。その幕開けでもあった。


しばらくして、壱与は卑弥呼と面識を作った。
壱与をひとめみて安心したのか、卑弥呼は微笑を絶やさずに壱与に言い聞かせるようにして囁いた。
「お前の選択する道は、二通りある。ひとつは鬼道、つまり巫術を使い予言をする、わたしと同じ道だ。もうひとつは、お前の信じるものと歩いていく道。いるだろう」
壱与は卑弥呼に見透かされていることを悟ると、顔を赤らめた。
「運命なんてものはいい加減なものさ。ただし本人に決められないところが口惜しいがね。わかっていても、苦しいほうを選んでしまう事だってある」
「卑弥呼様」
壱与は何と言ってやればよいのかわからない様子で、卑弥呼の顔を覗き込んでいた。
「わたしがお前を選んだ理由はね、漢字がわかると聞いたからさ。王にとって、外交も大切なんだよ。お前の聡明さは、国中の噂だからね。神様もお前を選ぶわけだ」
卑弥呼はうれしそうに声を弾ませて壱与に言った。
そこへ乱暴な足取りでやってくる音を耳にすると、卑弥呼は咳払いをした。
「わかったね。壱与、お前のとるべき道、よく考えるんだよ」
壱与は大きく頷き、卑弥呼の部屋から退出する。すれちがいざま、足音の主である赤比古から、鋭い視線を投げかけられ、戸惑った。
「姉上、何ですかあの娘は。農民の子ではないのですか」
「用事を頼んだだけだよ。赤比古」
と、卑弥呼はごまかしはしたが、後継者の件が赤比古にばれては非常にまずく、警戒していた。


卑弥呼の病状が悪化し、床に伏したときのことだ。
そうなった原因は、体格のよいひげ面の赤比古が、小柄で青白い顔をした料理番(宦官)の常彦(つねひこ)に命じて料理に毒をまぜたからだ。
「赤比古。そうまでして王になりたいか」
白髪の混じってきた長髪を垂らし、卑弥呼は上半身を起こして問うた。
「ああ、なりたいねえ。王になれば国も民も、生口(せいこう)もすべて思いのままだ」
杯をかたむけ、赤比古はしらじらしい口調で言った。
この時代までは生口つまり奴婢がいたらしいが、仏教や神道が日本に入って以降は、奴婢の制度に関しての記述がなくなっていく。
恐らくインドのカースト制度を導入していたと見て間違いのない弥生時代だが、ヤマトにおける奴婢の扱いは、インドのそれとはだいぶ異なっていたようだ。
話を卑弥呼と赤比古のやりとりに戻す。
「思い上がりもいいところだな。赤比古。お前が王になれば、死ぬ運命だぞ」
「では、王にならねばどうなる」
「生きるだろう」
卑弥呼は急激に咳き込んで、床に入る。王についたばかりのころの凛々しさはすっかり失せ、弱々しい老人に近くなってしまった姉を見て、赤比古は舌打ちした。
「これが栄光輝かしい王の姿か。姉さんも寄る年波には勝てないのだな。なあに。あとのことは任されたよ。だから、心配せずに逝ってくれ、姉さん」
赤比古は祭壇に飾られたものをすばやく手にすると、卑弥呼の胸板めがけて貫いた。
卑弥呼の瞳孔が、かっと見開き、血に染まった胸元へ視線を走らせると、何が起こったのか理解できた。
心臓に刺さった青銅の剣を無理に引き抜くと、鮮血が飛散した。
「ぐふっ、愚かなことを。こんなことをしても、無駄だと言ったはずだ」
血の塊が口中に広がり、やがて唇を伝う。
「なってみなくちゃわからんだろう。とにかくわしは、王になりたい」
祭祀用の青銅の剣から血を拭うと、赤比古は後ろめたさもない様子で拭った麻布を放り投げ、剣を台座へもどした。
「真の栄光は、すがるものではない。得るための物だ」
卑弥呼は静かに瞼を閉じ、目覚めることはなかった。
そして赤比古は、王になることを宣言したが、その日の正午過ぎ、あの事件が起きてしまう。

その日は皮肉にも、太陽が月に隠れる日食の日で、国は大騒ぎになっていた。

「男の王が立ったから、太陽の神がお怒りになった」
「赤比古を殺せ」
「王の座から引き摺り下ろすのだ」
赤比古は青ざめた顔をして、逃げ回る羽目になった。
だがとっつかまって、処刑されてしまった。
そして、民は、待ち焦がれた第二の女王の就任を待ち望む。


こうして、壱与は卑弥呼のあとを継ぐことになり、ふたり目の女王となったのだが、卑弥呼の言葉が頭から離れなくなっていた。
「どちらの道を選ぶも、お前の自由だ」
芹彦についていくか、それとも、国に隷属する王となるのが器なのか。
壱与は迷った。だが、一個人への愛を選択すれば、赤比古のような残酷な仕打ちにあうだろう。
愛とは、残酷なもの。そして王とは、もはや感情と無縁の物でなければ。
壱与はうなだれ、抑えきれなくなった感情を、それでもなお、殺さねばならなかった。
王となった壱与には止めようのない運命の歯車が、動き出してしまった。
そう、壱与は芹彦との生活を選び、王の座を捨て、逃げ出したのだ。
追っ手は荒れ果てた獣道をなれた足取りで迫ってくる。
壱与も芹彦もそれなりに健康なほうだが、神殿に引きこもっていたせいか、足取りが重くなっていた。
「さ、いこう」
芹彦は壱与を背負って荒れた道を歩き出す。
筒に入れた数本の矢がときおりカタカタと鳴った。
「弓矢、重いでしょう」
壱与が尋ねると、芹彦はよけいなことを考えなくていい、と答えた。
険しい山道をどうにか越えると、砂浜の広がる海岸の近くに出ることが出来た。
「広いなあ。ここはどこだろう。見てごらん、雲があんなに湧き出ている」
芹彦がぼろぼろの身なりになった服を見て呆れ、疲れきった表情で空を見上げている。
「雲が出てるから、出雲。どうやら追っ手もあきらめたようだし、ここに住むことは出来ないかしら」
「そうだな。ここなら暮らしていけるかもしれないな」
その内心は早く休みたいと言いたげであった。
「ここでも王をやるのかい。壱与」
壱与は、とんでもないことだと苦笑いを浮かべた。
「私はいいの。あなたが王よ。この、出雲王朝を取り仕切る王にね」

空白の四世紀といわれるその時代に、出雲王朝が誕生した、と歴史書にはあるが、そのいきさつが壱与にあるとは、誰も知らない事実である。

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