ムラに、雨が降っていました。
「今日も雨か……。これじゃ、稲がやられてしまうよ」
父様は外を眺めて言いました。

私はそれを見て溜息を吐きます。
雨が降るのは別に悪いことではありません。だって稲を育てるためには寧ろ重要なことですから。自分たちの飲み水にも使うことができるから。
でも、問題もあります。

稲から採れるお米、それが無いとお屋敷にお米を運ぶことが出来ません。運ぶものが無いのだから、運べるわけがありません。それをしないとお屋敷から怒られてしまいます。そしてムラの人たちからも蔑まれてしまいます。いいことなんてありません。
それでは、お屋敷とはいったいどこにあるお屋敷なのでしょうか?

この近くで『お屋敷』と言えば、それはたった一つしかありません。この近くで一番大きなお屋敷、私の家よりも、川よりも、池よりも、貝を捨てる場所よりも大きなお屋敷。
それがこの国、邪馬台国を治めるヒミコ様のお屋敷です。

邪馬台国という国が生まれたのは、私が生まれる少し前のこと。
ヒミコ様は不思議な力を持っているらしくて、例えばいつ雨が降るとかいつ稲光がやってくるのかとか、そういうことが簡単に解るようなのです。私にはよく解らないから、すごいことだなあ、と常々思っていました。
だけれどヒミコ様はとてもお美しい方だと聞きます。私は見に行くことが出来ないけれど、父様がヒミコ様のお屋敷にお米を納める時に、一度だけそのお姿を見たことがありました。

父様は言いました。
ヒミコ様を眺めたのは一瞬だけだったが、それはそれはお美しい方だった。目に焼き付けてしまっているくらいだ。
その話をする度に、父様は母様に怒られていました。私はそれを見て、微笑んでいました。

そしていつしか私の中に、ヒミコ様に会いたいという思いが芽生えてきました。父様から話を聞いているのですから、当然かもしれません。
雨はまだまだ振り続けていました。
晴れることのない曇り空は、まるで私の気持ちを現しているようでした。

【小説】大人になる、ということ「1.シオンとわたし」(巫夏希)

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シオンは私の家の隣に住む、小さな男の子だ。私と同い年の男の子はシオン以外にいませんでしたから、よく覚えていました。
別に過去の形を取っているからと言って、シオンがもう居ないだとかそういうわけではありません。今でも私たちは会うのです。ただ、その機会が最近は失われているというだけで。

シオンは男の子。男の子は働かなくてはなりません。親の手伝いか、或いは親の仕事をしなくてはなりません。ですからシオンもその類に漏れず、親の仕事を手伝うことになっているのです。
その合間を縫って、私に会いにきてくれるシオンを見ると、うれしい反面少しだけ悲しくなってきます。忙しいのに、私に会っても大丈夫なのだろうかと思うのです。
シオンだけではなく、ムラの男性たちはこの時期になると忙しくなります。

理由は単純でした。稲の収穫時期だからです。
稲の収穫時期になると男性は稲を刈ります。そして女性が稲から籾を取り、脱穀していきます。脱穀したものをヒミコ様のお屋敷に届けるためです。
すなわち、男性も女性もこの時期になれば忙しいのですが、どちらかといえばその仕事量は男性の方が多かったのです。だから、シオンはいつも稲を刈っていました。

それが別に悪いことではありません。私たちが生きていく上では重要なことなのですから。

しかし、少しだけ寂しくもあります。
シオンと会えない心苦しさとたまに会うときのうれしさ。
それが兼ね備えているからこそ、会うときの喜びも大きいのかもしれません。

だからといって、とても家が近いからといって、毎日のように会う訳にもいきません。昔こそは毎日のように遊びました。でもそれももう、子供の頃の話。私たちはもう、大人になりつつあるのです。
大人になりつつある私たちが、大人の仕事を放棄したら、どうなってしまうのでしょうか?

無視したことが無いから、はっきりとそれは言い切れませんが、でも、とても恐ろしいことになるのは確かでしょう。
でも、私たちは怖かったのです。
何が?
それはまぎれも無く、大人になるということが……です。


:::


「ミヨ」
声が聞こえました。

どうやら私は雨音を聞いて眠っていたようです。
雨はすっかり止んでいて、父様ももう出かけたようでした。きっと稲の様子が気になって出かけたのでしょう。
「ミヨってば。聞いてるの?」
再び、声が聞こえました。

その声は、外から聞こえてくるようでした。私はそちらを見ます――。
そこに、彼はいました。
彼の名前はシオン。私の友達です。
「シオン……。仕事はどうしたの?」

「仕事は粗方終わったよ。だから、今日は暇をしていいってね。だからここに来た訳」
ああ、だからか。
だから雨が止んでも父様と母様は私を起こさなかったのか。

母様はきっと外に出かけたのでしょう。父様も稲を刈る仕事をしているのでしょうか。
シオンは未だ私のほうを見つめていました。
「なあ、ミヨ。ちょっと旅をしてみないか?」
旅?私はその単語を聞いて首を傾げます。

シオンの話は続きます。
「そうだ、シオン。旅だよ。旅とはとても素晴らしいものだ。……父様と母様はきっと反対してしまうだろう。だから、ぼくたちだけで旅に出るんだよ。ほかの人にとって小さな一歩かもしれない。けれど、この一歩は大きな一歩になるかもしれないんだ」
シオンはとても難しい話をします。私は少し眠くなってきました。

シオンは私の表情を見てか、あれ程寝ていたのにまた眠るのかいと言われました。
失敬な。私だってそんな長い時間寝るつもりではなかったのに。
私は頬を膨らませます。

シオンは私のその表情を見て、少しだけ笑いました。
「ごめんごめん。別に君のことを文句言ったわけじゃないんだ。そして悪く言ったつもりもない。僕はただ、君と旅がしたい。君と遊びたいだけなんだ」
シオンがこうムキになるのは私も知っています。きっと、ほかの同じくらいの年の人に、茶化されたのでしょう。大人にならない、いつまでもやんちゃな性格だ、と。そんなことを言っているのこそ、やんちゃであるのに、実際はそれに気付かないのでしょうか。私は、シオンの話をそう何度か聞いたことがあります。そして何度も、こう結論付けられるのです。
「あいつらのことを見返して、いつか大人になってやる!」
大人、って何なのだろう。

私たちは父様や母様からよく子供と言われる。それは私が父様と母様の子供だからだ。でも、シオンも私の父様や母様に子供と言われる。いったい、その違いは何なのだろうか。
そもそも子供と大人には違いがあるのだろうか。
私は解らなかった。

子供が成長すれば自然、大人になっていくのだと思っていたから、ことさら。
「……ミヨ。僕は明日、ある場所に向かおうと思う。そこはここからそう遠くない場所にあるけれど、それでも一種の『旅』だといえる場所だよ」
「……そこは?」
シオンは私に言いました。
「……ヒミコさまのお屋敷だ」

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