【小説】女王台与伝(古源 ゆー)

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あ遥か彼方遠い昔のお話ーーー

とある小さな集落に1人の少女が居た。名をトヨという。彼女の出生は不明だ。数年前のある秋の晴れた早朝、祭祀場の上に絹に包まれた赤子が置かれていたのを偶然その住人が見つけた。その赤子こそがトヨだ。それはそれは真っ白で玉のように美しかった。そして明らかに他の子とは違う、品格が高いとでもいうべきか、そんな雰囲気を帯びていたらしい。その後は老夫婦に引き取られ大切に育てられてきた。
トヨは少女ではありながらも腕白でいつも泥だらけになって帰ってくるような子だった。気が強く芯が通っていて明るい女の子だ。人懐っこくいつも彼女の周りには人がいた。男女問わずたくさんいる友達の中でも同い年のシノという少女と特に仲が良かった。トヨとは真逆でマイペースでおっとりしている心優しい娘だ。
「トヨちゃん見て見て、綺麗なお花があったの。トヨちゃんに似合うと思ったんだ!」
「ありがとう、シノ。」
シノはとても植物が大好きで、綺麗な花を見かけると必ずトヨにあげていた。そしてトヨがはしゃぎ過ぎて怪我をするとすぐに手当をしてくれた。自分のことを心から思ってくれていることがトヨはとても嬉しかった。実の両親はいなかったが皆に愛されてトヨは毎日幸せだった。


トヨは赤子で発見されたときとは全く違い、普段は他の子となんら変わりのない普通の子だった。ただ一度だけトヨが5歳の、ムラが干ばつで苦しめられていたときこんなことがあった。トヨは幼いなりにも雨が大切なことは十分知っていた。
「おねがいです。てんのかみさま…このむらにあめをふらせてください!」
本人は何の気もなしに言ったのだろうが、その瞬間大粒の雨が降り出した。一時期トヨはやはり特別な子なのではないかと噂がたったがその後は何も無かった為、人々は皆これを偶然だと思ったのだった。


平穏な日々は長くは続かなかった。世はクニ同士の争いのたえない時代だ。どこかしこでも戦が起こり、女子供も戦いに巻き込まれ死者は後を絶たなかった。そしてとうとう平穏なトヨの住むこのムラも戦いに巻き込まれることになってしまったのだった。


稲穂が黄金に輝きだす季節。収穫祭が行われた。トヨは10歳になっていた。人々は踊り出し酒を酌み交わしとても賑わっていた。トヨは大人達の輪を抜け出しシノと一緒にススキ生い茂る川面へ来ていた。
「見てよシノ、満点の星空だよ。それになんて綺麗な月だろう…。」
「ほんとうだ。いつまでもこうしていたいなあ…。」
二人ともぼんやり空を見上げていた。沈黙が心地よかった。幼い少女達の髪の毛を秋の爽やかな風が優しくなでていた。


それは突然だった。収穫祭の早朝、異常な物音と信じられない程の熱さでトヨははっと目を覚ました。目に飛び込んできたのは真っ赤に燃える炎だった。
(家が…燃えている…?)
崩れかけている家から出るとそこは火の海だった。
「おじいさん……!おばあさんどこ……?シノ…!」
とにかく叫ぶが周りに人がいるのかさえわからない。煙で呼吸が出来なくなる。何も考えられなかった。もう何かもが終わりだと思った。
(私…死ぬのかな…)
そのままトヨは気を失った。


次に気がついたとき、トヨは誰かに背負われていた。
(あれ…だれだろう…)
意識がぼんやりする中話そうと思っても言葉が出ない。おぶっているのはどうやら少年のようだった。銀髪で顔を見なくても人離れした雰囲気を感じとれた。なんだか空を飛んでいるかのように心地が良かった。
(この人は私を助けてくれたの…?それとも天からの使いだろうか…私はやっぱり死んだのかな…。)
そんなことを思いつつまた意識が遠のいていった。


トヨが目を開けると建物の天井が見えた。自分が布団の中にいることに気がつく。
(あれ…今のは夢…?)
ガバッと身を起こす。自分が生きていることに喜ぶと同時に状況が理解できず頭がクラクラする。それに身体中が痛い。明らかにいつもの家ではない。凄く広くて位の高い人の住まいのようだった。おもむろに部屋の扉が開かれて下女と思われる女性が入ってきた。トヨを見て後ろの誰かに話しかけた。
「お目覚めなされたようですよ。」
すると後ろにいた人物が部屋に入ってきた。それは初老の体格のよい品のある男性だった。
「おお、おお良かった良かった。宮殿の前に倒れているから驚いたよ。ここは私の屋敷だ。」
ワハハと笑いながら男性は言った。
「宮殿の前に倒れていた…?ここは何処なのですか?私はどうやってここに?一体私のムラで何が…」
聞きたいことがあり過ぎて質問攻めするトヨをその男が遮った。
「まあ少し落ち着きなさい。おそらく先日の戦に巻き込まれたのだろう、お前のムラは。怪我をして倒れているところを誰かがここまで運んでくれたのだろうな…何故ここなのかは分からんが…。」
「戦……皆は…どうなってしまったんでしょう…。」
家族が…友人達が…トヨは考えるだけで胸が張り裂けそうになった。
「詳しいことはよくわからない…ただ今は何処かしこも戦が起こっては多くの集落が滅ぼされてしまっている状況だ…。お前のように運が良ければ何処かで生きているかもしれん。とりあえず今お前は自分の状況を知ることから始めるべきだ。ここは邪馬台国の中心だ。邪馬台国とはここらで1番大きい連合国で、かつては女王ヒミコ様が治めていた。彼女亡きあとは男王が治めている。」
そこまで言って男は突然立ち上がって身振りまで踏まえながら熱弁し始めた。
「ヒミコ様は偉大だったんだぞ。占いで人々から厚い支持を得ていて、未来も予知できたんだ。今こうやってこの国があるのもヒミコ様のおかげといっても過言ではない。そして私はそのヒミコ様から魏へ使いを頼まれて遥か大陸へ渡ったんだ…。」男は懐かしそうに遠くを見つめた。
「魏…魏とは大陸の国ですか…?」薄ぼんやりした知識の中でトヨが尋ねた。
「ああそうだよ。そこで私は親魏倭王の証である金印を承ってきた。簡単にいえば大陸の大きな国から認められたクニなんだよ邪馬台国は。」
完全に理解したわけではないが物凄いということだけはトヨにも伝わった。そして目の前にいる男がただ者ではないことも分かった。
「何故…私はそんな凄いクニの中心地に…運ばれたんでしょう…しかもただのムラ娘の私があなたのような偉い方に助けてもらうなんて…。」
急に居心地の悪さを感じた。自分とは位が違い過ぎる。
「さあな…それは私にもわからん。でもただの偶然ではないと思うな。きっと何かの運命でお前はここへ来たのだろう。それに…気のせいかもしれないがお前の目はヒミコ様によく似ている。」
「そんなことあるはずないじゃないですか!」
馬鹿にされたと思ったトヨはつい強めに言ってしまった。
「威勢がいいな。そんなところもヒミコ様を思い起こさせる。まあいい、今はここも安全ではない。お前は外れの方の戦の影響が少ない集落へ行ってもらおう。ちょうど知り合いがいるからな。そこに世話になるといい。手はずは整えてあるぞ。」
にこやかに男は言った。あまりに良くしてくれるので申し訳なくなってしまった。
「ありがとうございます。このご恩必ず忘れません。」
深々と頭を下げた。
「いいからいいから、困ったときはお互い様だ。そういえばお前の名前を聞いてないな、なんという名だ?」
「トヨと申します。貴方様は?」
「私はナシメと申す。トヨか、良い名だ。覚えておこう。」
そう言ってナシメというその男は部屋を出て行った。トヨはケガが回復したのち、ナシメの知り合いの元へと向かった。
(なんていいお方なのだろう…本当に本当にありがたい…。私のために交通手段まで用意して下さった…それにしても私を宮殿まで運んだのは一体誰だったのだろう…その方にも感謝しなければ。)
自分は凄く恵まれているとしみじみ感じながら屋敷をあとにした。


難升米の知り合いというのは朗らかな中年の女性だった。まさにお母さんといった出で立ちでトヨを明るく出迎えてくれた。新しい集落での暮らしで何か不自由することはなかった。しかし夜になるとどうしても故郷のことを思いだして泣いてしまった。家族は無事だろうか…友人達は無事だろうか…頭の中で数々の思い出が駆け巡った。皆がどこかで生きていてほしいと毎日強く願っていた。


その集落に住み始めて数ヶ月後、家に篭っていると余計なことを考えてしまうので、外に出ることが多くなった。動物と戯れたり植物を観察しているとツライことも忘れられた。そうしていると自然と心が通い合っているような気さえした。動物達は皆トヨに懐き花々もトヨが触れるとなんだか嬉しそうに見えた。周りの人々はトヨは自然と話せるのではないかとさえ噂するようになった。そして偶然か否か、トヨがここへ来てからというもの、いつも以上に作物は獲れ、天候も安定していた。人々は密かにトヨを自然を安定させる力をもつ巫女ではないかと噂し合った。それにトヨは未来を予知することも多々あった。自分でも知らないまま誰かに操られたかのように予言してしまうのだ。時折自分自身が恐ろしくさえ思った。ここへ来る前はこんなことなかった。一体自分はどうしてしまったのだろうと不思議でならなかった。ぼんやりひたすら考え込むことが多くなった。
2年の月日が経ったある晩、トヨはふと目を覚ました。それから眠れそうになかったので何となく外に出て月を眺めていた。季節は春。若葉の香りが心地よい。
(シノはどうしているだろう…)
懐かしいあの夜の思い出。たった2年前のことなのに遠い昔のことのように思えた。最近は夜も泣かなくなっていたが思わずまた涙が浮かぶ。トヨは涙でぼんやりした視界の中で遠くの方に人影らしきものがあることに気づいた。その人物はこちらへ向かって歩いている。月光に照らされそれは少年だということが分かった。銀髪の少年…トヨはふと戦に巻き込まれたあと自分を助けてくれたと思しき少年を思い出した。その少年はトヨの前で立ち止まった。トヨ はそんなはずはないと思いながらも考えるより先に口を動かしていた。
「あなたは…私を助けてくれた人…?」
その少年はトヨに優しく微笑みかけた。なんとも美しい笑みだ。
『トヨ、君は自分の力を信じるんだ。君は凄い能力を持っている。君なら人々を救うことが出来る。』
トヨの問いかけには答えず、ただこう言って淡く光を放ってその場から消えてしまった。不思議な声をしていた。気がつくとトヨは布団の中にいた。
(今のは夢か…あの少年は一体何者なんだろうそしてあの言葉の意味は…?)
ただの夢だろうが考えずにはいられなかった。


本人はさておきトヨの噂はあっという間に広がった。それはあのナシメの耳にも入ってきた。
(やはり…只者ではなかったかあの娘は。そしておそらく十数年前にヒミコ様の親戚で生まれた赤子がいたのだが、それはあの娘のことだったのではなかろうか…生まれてすぐに誘拐に逢い行方が分からなかったが間違いなさそうだ。あの目は確かにヒミコ様に瓜二つだ。これは呼び戻すしかない。)
そして二人は再会を果たした。トヨは13歳になっていた。


屋敷に通されナシメが前に姿を現すとトヨは深々と頭を下げた。
「ナシメ様、あの時は親切にして下さり本当にありがとうございました。おかげで穏やかな日々を送ることができております。」
「まあそう固くなるな。今日はお前に伝えたいことがあってここへ再び呼んだのだ。」
「伝えたい…こと?」
トヨは自分が呼ばれたのはてっきり久々に顔を見せる為だけとばかり思っていたのだ。
(こんな偉い方が一体私になんの用があるのだろう…)
スッと顔を上げてナシメを見つめた。
「トヨ、お前は最近自分が不思議な能力を持つ者として噂になっていることは知っているな?その噂は広く邪馬台国中まで届いている。やはり私の最初の印象は間違っていなかったようだ。信じられないかもしれないが落ち着いて聞いて欲しい。」
ナシメは姿勢を正しトヨをしっかり見定めてこう言った。
「十数年前卑弥呼様が亡くなる間際、卑弥呼様の親戚の中で新生児が生まれたんだ。しかし世は奴国と激しく争っている時代…おそらく敵と思われる者にその赤子は連れ去られてしまった。その行方はずっと分からないままだった。そしてその赤子の家族も親戚も皆戦に巻き込まれてしまった。誰もが卑弥呼様の血は途絶えてしまったのだと思っていた……。」
そこまで言って突然ナシメは目の色を変えた。鋭くトヨを見つめる。
「しかしそこへお前が現れた。卑弥呼様と全く同じ目をしたお前が。天地を鎮め、先見の能力を持つお前が。信じられないだろうと思うがお前こそ間違いなくその時の赤子だ。ヒミコ様の血が流れているこの国で唯一の存在だ。」
トヨは驚きと衝撃で身動きがとれなかった。言葉も出ない。そんな凄い人の血が流れているとは自分では信じることが出来なかったが、ナシメの真剣な眼差しを見ると嘘を言っているようには到底見えない。というか信じざるを得なかった。暫く沈黙があったのちナシメが再び口を開いた。
「そこで…だな、お前に頼みがあるのだ。この際ハッキリ言おう。邪馬台国の女王になってもらいたい。」
「へ…?じょ…女王…?!」
思わず声が裏返ってしまった。
(私が…女王??え…私はヒミコ様の親戚でその上女王になるだと…?)
唐突なことが多過ぎて頭の中の整理がつかない。
「本当にすまない…こんな一気に言ってしまっては混乱してしまうよな…。邪馬台国は今男王がクニを治めているのだがどうも人々をまとめることが出来ていない。そのせいで戦は絶えない。やはり卑弥呼様のような巫女が王になるべきなのだ。そこでトヨ、お前はその座に最もふさわしい人物なのだよ。この戦乱を終わらせる為にも是非女王になってもらいたい。整理が必要だと思うのでまた暫くしたら呼ぶかもしれぬ。それまでゆっくり考えてみてくれ…。」


トヨはムラに帰ってきてからもぼうっとすることが多かった。
(私が…女王に…。でも本当に私にそんな力はあるのだろうか。それに巫女になったらずっと屋敷の中に閉じこもっていなければならないのよね。自然と戯れることが出来ないなんて耐えられない…。)
自分が女王になるだなんて不安で押し潰されそうだった。それにまだ13歳。まだまだなんの権力も持たない幼いただの少女だ。そんな彼女にとって女王になることをすんなり受け入れることは到底無理な話だった。それも邪馬台国というとても大きなクニの。
(やっぱり断ろうか…)
毎日考えるのはそのことばかり。活発なトヨも外に出る気さえなくなって一日中閉じこもっていることが多くなった。
そんなある晩…トヨがふと目を覚ますと目の前に知らない女性の姿があった。とても美しく気品があり、普通の人とはかなり違う神がかった雰囲気をもつ女性だ。装束からして巫女のようだ。知らない人が部屋にいるというのに何故かトヨは冷静だった。その人からどこか懐かしさを感じたからかもしれなかった。
「あなたは…一体…」
トヨが尋ねると彼女は静かに答えた。
『妾はヒミコ。かつて邪馬台国を治めていた女王だ。そなたの親戚にもあたる。そなたが迷っているようなのでこうやって夢枕へ現れたのだ。』
その声はよく通り、凛としていた。
「ヒミコ様…?」
ドキドキしながらトヨは彼女を見上げる。すると卑弥呼はトヨをしっかり見つめて語り出した。
『トヨ、私もかつては普通のムラ娘。いつも山を駆け回っているような娘だった。妾の能力が人々の間で認められ女王になると言われた時は戸惑い、巫女としての人生に不安を感じたものだ…。私だって本当は他の娘のように結婚し、子供を産み、いつまでも自然と共にある生活がしたかった…。』
ヒミコはどこか寂しそうな表情だった。そして続けた。
『だがな、人間は一人一人役目を担って生まれてきたんだ。きっと私は邪馬台国というこのクニを守るためにこの世へ生まれてきたのだろう。だから私は生涯をこの邪馬台国に捧げた。ツライことは何度もあった。だが後悔はしていない。妾自身しっかり役目を果たして死ぬことが出来たと思っている。次はそなたの番だ。妾が死んでから再びクニが乱れている。多数の被害があちこちで出てしまった。邪馬台国を治め、また平和な日々を取り返すことが出来るのはトヨ、そなたしかいないのだ。私の後を継いで欲しい。そなたは私よりも優れた能力を持っているのだから。』
ヒミコは真っ直ぐにトヨの目を見ていた。
「ヒミコ様…私は……。」
トヨが言い終わらないうちにヒミコは姿を消した。
(私がヒミコ様より優れた能力を持っている…?)
ふとあの少年に言われたことが脳をよぎった。
(私が女王になることで…本当に平和になるのなら…皆のためにもなるべきなのかな…)
ヒミコに言われて自信が出たのと同時に大きな使命感を感じた。


ヒミコが夢枕に立った日から数日経ったある日、戦火が隣のムラを襲った。戦いは激化しているようだった。トヨは3年前の恐怖を思い出した。なんとか生き延びた人々がトヨの住むムラにやって来ていた。トヨは一人でいる幼い少年を見かけた。3、4歳くらいだろうか。どうやら今回の戦で家族を亡くしてしまったようだ。トヨと同じように誰かがここまで連れてきたのだろう。ふとその少年とトヨは目が合った。すると突然トヨに問いかけきた。
「おねえちゃん、ぼくのおかあさんはどこへいったの?おとうさんは?おばあちゃんはおじいちゃんは??」
そしてその少年はトヨにしがみついて泣き出してしまった。トヨはどうすることも出来なかった。
「ぼうや、とりあえずおねえちゃんのお家においで。きっとあなたのおかあさんもおとうさんもどこかにいるわ。ここはあなたの住んでいたムラではないの。」
トヨはその少年の手をとり帰った。次の日ムラに住む老夫婦が彼を引き取っていった。トヨは少年の泣き顔が頭から離れなかった。
(あの子も私と同じツラい思いをしたのね。戦は皆を悲しめる。戦をしていいことなんて一つもない。ただ酷い目に遭うだけ。戦がなくなりさえすれば…。やっぱり私はこのクニのために、民のために女王になろう。私が出来ることなんてもしかしたら凄く小さいかもしれないけどやってみなければわからない。少しでも戦がなくなることに貢献できるのなら…!)
トヨは決心した。そしてナシメに再び呼び出されたとき、女王になると答えたのだった。


トヨは晴れて邪馬台国の女王の座に君臨した。まだ歳は13。しかし人々からの支持は厚かった。何人もの家来達が侍り、普段との違いに最初は戸惑うことも多かった。何よりナシメが敬語なのには慣れなかった。
「トヨ様、私も死ぬまで貴方様にお使いしますよ。」
にこやかに笑って彼は言った。
「ナシメ様……敬語は慣れませんよ…。今まで通り接して下さい…。」
「いやいや貴女は女王という地位に立つお方。本当に今までの無礼を詫びねばなりませぬな。数々の無礼失礼しました。」
唐突にナシメは土下座した。
「やめてください!!!!」
勢い余って叫んでしまった。ナシメは笑っている。どうやらトヨの反応を楽しんでいるらしい。
「そうだトヨ様。貴女にお目通りを願いたいと申す者がいるのですが…よろしいですか?」
「私に会いたい人…?誰でしょう…もちろん通して下さい。」
トヨの目の前に現れたのは下女の装いをした懐かしい友人、シノだった。
「シノ…?!無事だったのね!!」
突然の友人との再会にトヨは喜びを隠せなかった。一目散にシノに抱きついた。
「トヨちゃんも無事で良かった…。会えて嬉しい。」
シノも涙を浮かべているようだった。そしてトヨを離すとこう言った。
「皆…死んじゃったんだ…。私は運良く生き延びて、ずっと別のムラで暮らしてきた。ある時邪馬台国に新しい女王がたつと聞いたの。それがトヨちゃんだと知ってここにきた。本当は下女になれるような身分じゃないんだけど、ナシメ様がトヨちゃんの幼なじみということで特別に雇ってくださったの。これからよろしくお願いします。トヨ様。」
シノは深々と頭を下げた。
「やだ…私達は友達でしょ?そんな風に恭しくされたら私が困るわ。」
トヨは慌てて言った。
「だめよトヨちゃん。私は下女。私だけ特別にトヨちゃんと親しくするなんて出来ないわ。だからこれからは敬語です。お願い、許してね。」
どことなく寂しそうに微笑んでシノは言った。
「トヨちゃんなら女王様にふさわしいわ。ずっと前から皆とどこか違っていたもの。上手く言えないけど特別な雰囲気をまとっていたの。自信を持ってね、私は下女としてトヨちゃんを微力ながら支え続けるわ。トヨちゃんの元で働けるなんて…こんなに嬉しいことはないわ。」
シノの笑顔はキラキラしていた。シノの優しさが心にしみた。トヨの目から涙があふれた。
「ありがとう…シノ…。身分は違ってもずっと友達よ。」
「もちろん。さあ昔の二人は終わり。これからは本当に女王様と下女だからね、ではまた会いましょう。トヨ様。」
にっこり笑ってそう言うとシノは部屋から出ていった。シノに会えてずっと自分の元に居てくれると思うと凄く嬉しかった。でも身分という厚い壁が二人を遮っていてなんだか遠くなってしまった気がして寂しかった。改めて自分は女王なのだと実感した。
(たくさんの人々が私を慕ってくれている。期待に応えられるように女王としてしっかり勤めを果たそう。ヒミコ様のように。)
トヨは強く心に誓った。


トヨが女王になって一月が経った夜のことだった。ちょうど神からのお告げを承っている最中だった。ふと、背後で物音がした。異常な物音にフッとトヨが振り返る。そこには見知らぬ男が二人立っていた。片方は痩せていてもう一方は大柄だ。全身布で覆われていて目だけが見える状態で表情がわからない。
「お前達は何者だ…!ここは神聖な場所、今すぐ出て行きなさい!」
トヨは叫んだ。すると痩せた男が真っ赤な血がついた剣をこちらへ向けた。どうやら見張りの者を斬ったようだ。
(この男たちは私を殺しにきたんだ…とにかく外へ逃げよう…そうすれば誰かいるはず)
トヨは近くにあった棒を剣の代わりにして痩せた男の持つ剣を思い切り叩いた。思わず男が剣を落としそうになる。その隙をついてトヨは走りだした。元より活発な子だったので足には自信があった。一目散に駆け出す。しかしまだ着慣れていない巫女装束の裾をうっかり踏んでしまい、勢いよく転んでしまった。そこへ大柄な方の男が追いつく。トヨは腕をガッチリ掴まれ身動きがとれなくなってしまった。そこへ痩せた男が剣を持ってジリジリとこちらへ近づいてくる。
(どうしよう…殺される)
そう思った次の瞬間目を開けられないほどの眩しい光が当たりを照らした。それがやんでゆっくりトヨが目を開けると二人の男は倒れていた。
そして目の前にはあの銀髪の少年がいた。恐怖から解放され力が抜けたトヨはその場に座り込んだ。
「あなたが…助けてくれたの…?」
少年は何も言わずただトヨに向かって微笑んだ。
「あなたは私を助けてくれた。一体何故…?あなたは一体何者なの?」
『トヨ、まだ君が幼かった頃、小さな竜を助けたことがあっただろう?』
「竜…を…?」
ハッとトヨは思い出した。干ばつからトヨがムラを救った数日前に遡る。トヨは追いかけっこをしているうちに山に入った。そこに枝が突き刺さって流血している動物が居たのだった。その時のトヨにはその動物が何か分からなかったが、小さくても形は確かに竜だった。トヨは枝を抜くと自分の髪を結っていた長い布を優しく傷口を守るようにその竜に巻き付けた。そしてその上からそっと手を添えて、早く治りますようにと願ったのだった。するとみるみるうちに竜は大きくなり天へと昇っていったのだった。あまりにも非現実的で自分ではその遠い記憶が夢だったんだと思い込んでいた。
『そのときトヨが助けてくれた竜が私なんだ。元々ヒミコ様が私を崇拝し、守ってくれていたんだが卑弥呼様が亡くなるとその後の戦乱に巻き込まれ傷を負ってしまった。誰も崇拝してくれなくなったから力が弱っていたというのもある。そこへ君が来た。君は不思議な力で私を回復させてくれた。だからそのときの恩返しがしたかったんだ。』
「じゃあ…あの時の干ばつの雨も…?」
『少し手伝ったよ。でもトヨの持ち前の能力でもある。私を助けてくれてありがとう、トヨ。』
少年は小さく微笑んだ。
「いいえ、お礼を言うのは私の方だわ。あなたは私の命の恩人よ!もう充分に恩は返してもらったわ。今度は私があなたに恩を返す番。あなたは竜神なのでしょう?ヒミコ様に代わってお祀りするわ。あなたはまた神様として生きてちょうだい。」
少年はトヨの頬に優しく触れた。
『ありがとう…トヨ。トヨにそう言ってもらえたらもう後悔は無い。私は竜に戻ろう。だがずっとトヨを見守っている。トヨが困ったらすぐに駆けつけよう。』
「とても頼もしいわ。ありがとう。私も素晴らしい女王になるように努力するわ…。」
うっすらとトヨの目に涙が浮かんだ。少年は竜の姿に戻り天へ戻っていった。とても美しかった。今までの感謝を伝えられ、トヨの心は満たされていた。


翌日、気を失っていた暗殺者の二人の男は家来によって捕らえられ罰せられた。邪馬台国と敵対するクニの使者であった。平和はまだ先だと改めてトヨは感じたのだった。そして必ず平和をもたらそうと誓った。


その後トヨの治める邪馬台国は、戦乱の無い平穏な日々を取り返すことができた。女王トヨはヒミコに勝る程の能力を持つ女性で、大勢の人々から慕われた。そしてヒミコが魏に使いを送ったようにトヨも晋に使いを送り、邪馬台国はますます発展を遂げた。トヨは無事にヒミコのあとを継ぎ、邪馬台国を守ることが出来たのだ。二人の女王は倭国…のちの日本国の基礎を築いたのだ。

やおよろず-日本の神様辞典-

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