【小説】きみ見ゆ、海「1.ミミとツグ」(向日葵塚 ひなた)

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どちらかと言えば、海を見ている方が長かった。
「ねえ、ミミ。今年の豊作を祈るお祭り、いつ? ほら、そろそろ稲を田に植える頃になってきたでしょう?」

春の穏やかな空で光る太陽に照らされ、きらきらと輝く海を眺めていると、女に声をかけられた。彼女のすらっとした手足が、たくし上げた純白の衣から剥き出しになっている。
少し日に焼けた肌を持つ、この邑の巫女のひとり娘だった。

胸元でころころと揺れるのは、手のひらに収まるほどの大きさをした土笛だ。ふっと息を入れると、たちまち彼女の声のような高い澄んだ音が手からはじける。そんな楽器を彼女は首から下げていた。

ぱっと波を蹴って、彼女は笑った。幼い頃からずっと伸ばしているきれいな髪を風になびかせながら、くるりとミミを振り返る。
「好きだね、海。」

浜辺に座っていたミミの手を取り、立ち上がらせる。
「好きというか、気付いたらここに居るんだよ。祭りは次の満月の晩だよ。ツグは今年も楽で出るの?」

言うと、ツグはこくりと頷いた。
「琴もね、ちゃんと練習してるけど、笛になりそう。」
「ツグは邑で一番じょうずな笛の奏者だから、みんな満足するよ。え、それを聞くためだけに、邑からここまで来たの?」

ツグやミミの住む家は、浜よりずっと離れたところにある。わざわざツグが祭りの日にちを聞くためだけに時間をかけてやってくるのは不思議なことだった。

邑の誰かに聞けば分かったことじゃないかな。ミミが首を傾げてたずねると、ツグはぱっと顔を赤くして、もぞもぞと口を動かした。

さざなみの音がツグの声をかき消してしまい、ミミは「何て言ったの?」と聞きなおす。すると、ツグは何か別のことを思い出したかのように手を叩いて、ミミに伝えた。
「成人の儀のことで、話があるから帰って来てって。ミナリ様が呼んでたよ。」
「ああ、そっか。ありがとう、ツグ。」

一緒に帰ろう。ミミが笑うと、どういう訳かツグはいつもよりも嬉しそうな顔をして、ミミの後ろを歩いた。



浜を出てしばらく細い坂道を歩くと、風景は一転し、草木が生い茂る丘に出る。ぽつぽつとあった家も、群れとなり立ち並び出す。これがミミたちの住む邑だ。投馬国(とうまこく)という国に属してはいるものの、王の住まう都からはずいぶんと離れていて、国の辺境にあるような邑だった。
物見やぐらに登り四方を見ると、広い田と、海が、ミミたちの住まう丘を囲んでいるのが分かる。南にそびえたつのは薄黒い大きな山。邑は海と山に囲まれていた。そういう立地のせいか、食糧に困ることもなく、争いに巻き込まれることもなく、ゆったりとした時間の中で穀物や野菜、家畜を育て過ごす、そんな邑だった。
ツグとミミはその邑の中心部、邑の長が住まう屋敷へと向かった。

門を入ると、ちょうど長との話を終えて田に向かおうとしていた男とすれ違い、2人はぺこりと頭を下げる。男も同じように、子供たちに頭を下げ、そそくさと屋敷を後にしていった。
「お祭りの打ち合わせでもしてたんだろうね。」

階段を上がり、長のいる間に入る。

薄暗い間には、銅で作られた剣や矛といった武器の他に、鐸(たく)といった道具があり、壁に立てかけられている。その前に座って、何やら考え事をしている男がこの邑の長だ。

ミミとツグはミナリの前におずおずと膝をつき、挨拶をした。
「父上、帰りました。」
「ああ、お前か。一体どこをほっつき歩いていたんだ。おや、ツグも一緒だったのだな。」

視線を送られたツグは「こんにちは。」と可愛らしく挨拶をする。
「ミミったら、また海に出てたの。子供はまだ、文身(いれずみ)と鯨面(げいめん)をしていないから水の近くに寄ってはいけないって、何度も言われるのに」

探すの大変なんだから、と、ツグがミミを横目で言う。
「違うって、砂浜に座ってただけだよ……。」

ミミは体裁が悪いように首を引っ込めながら、ミナリの目の下をこそりと見た。父の目の下には、稲穂と波を象った赤い模様が刻まれている。そして、手首にも同じように稲穂と波を象った模様が浮かんでいる。体には文身、顔には鯨面。倭国でさかんに行われている呪術の一種だった。成人すればミミも同じものを刻む。それが一族の証であり、成人の証であった。代々受け継がれる文身の模様を自分の身に刻まれると、ようやく海に自由に出入りできるようになるのが、ミミには待ち遠しい。
「まあよい。お前もあと季節がいくつか巡りすれば、成人するのだから心配することはもうないだろう。」
「え、まだなのですか?」

父の言葉に、ミミは驚いた。ツグが成人の儀の話だと言いわざわざ海まで呼びにきたはずなのに、それがまだ先だと言う父の言葉が信じられなかった。まさか、それが儀の話なのではないだろうと、ミミは問い直す。
「そんな、同い年の邑の子はもうすぐ成人すると言っていたのに。ツグだって、春の祭りには巫女として参加するのでしょう? 僕だけ1人、遅いのですか?」
「お前は、成人すればすぐにこの邑の長になるのだから、まだ早いと思ったのだ」

父に向かって大きな声を出すミミを、ツグは不安そうに覗いた。1人、子供のまま。そのことが大きな焦りとなって、ミミの胸の中を掻き立てているようだった。
「そうしたら、ミナリ様はどうされるのですか? ミミが長になったら、長が2人になってしまいますよね?」
「私は、副長になるよ。このように、もう私も老いて病にかかることも多くなってしまったから」

だから、ミミに立派な長になってもらうためにも、成人する時期を少し長めに取りたいのだ、と、ミナリは穏やかに言った。
ここのところ、ミナリは足や腰を痛めて床に臥し、この屋敷にこもることが多くなった。長は海と田を守り、人々の暮らしをよいものにするのが仕事である。人々の声をその耳で聞き、その目で邑の様子を見れなくなったミナリは、限界を感じていたようであった。
「けど、父上!」

膝の上に置く手が、汗ばんでいた。ミミはぎゅっと汗を握りしめて声を震わしながら父を見上げた。
「そんなの、無理です。成人してすぐ長になるなんて、無理です。長になれば、投馬国の王様の元に挨拶しに行かなければなりません。そこに私が果たして行っても、いいのでしょうか。」

まだ、自分は15である。周辺の邑の長は顔に皺を刻んだ立派な男たちであるのは長の息子であるミミも知っているし、これまで数回会ったことだってある。皆賢そうな顔とふるまいをしていたではないか。そんな彼達に混ざって、10代の自分が膝を並べて国王の前に行くなんてことは、到底無理だとミミは必至に父に訴えた。
「成人して数年後、という訳にはいかないのでしょうか。いくらなんでも、成人を先延ばしにして、それからすぐ長になるというのは無理があると思います。せめて、私が副長に――。」

成人する時期は親が決めるもの。それを知っていてもミミは言った。それでも、ミナリは首を横に振り、静かに言うだけだった。
「ミミ、今だから言うが、お前が産まれた瞬間から決めていたことなのだ。」

ミナリはそうきっぱりと言うと、ツグに微笑んだ。
「もう、ツグは家へ帰りなさい。じき日も暮れる。ミミ、送っていってあげなさい」
「父上、話を逸らさないでください!」

産まれた瞬間から決めていたということは、どういう意味なのか。そう問おうとしたところで、そっとツグがミミの手を取った。そのまま、ツグはミミの手を引っ張って表へと出てしまう。
「ツグったら!」

表へ出ると、いつの間にか日が傾いて空が赤くなっていた。

ミミが「どうして。」と、ツグの手を振りほどくと、ツグは小さく言った。
「ミミは子供でも大人でも、ミミだと思う。成人してないなんて、私はどうでもいいと思うな。それに、ミミなら立派な長になれると思うよ。それに私、まだ成人したくない。ミミが羨ましい。」
「なんで。みんなに置いていかれる感じがして、僕は嫌だ。」

幼なじみと言ってもいいツグの、そのような言葉は初めて聞いてミミは驚いた。少し悩んだように、ツグは顔を俯けてぽつり、ぽつりと口を動かす。
「だって、ミミと、いつもみたいに会えなくなるじゃない。」
「え?」

少しだけの沈黙の後、ツグは真っ赤な顔でミミを見つめた。
「ミミが好きなのに、会えなくなるのなら、私、成人なんてしたくない。」

早口でそういうと、ぱっとツグは駆けだしてしまった。

その長い髪からふわりと風に乗ってくる、ツグの甘いような海の香りに、ミミはツグと同じように顔を赤くして、頭の中に残るツグの声で胸の中の焦りはどこかへ飛び去り、その代わりに何か別のものがミミの胸の中をいっぱいにした。

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